杭州滞在記 その③
- フクモ陶器
- 2020年10月16日
- 読了時間: 4分
更新日:2020年10月17日

小学生の時から「美味しんぼ」を愛読しているフクモ陶器は、中国人の食にかける情熱に憧れを抱いていた。
杭州滞在1ヶ月を通して1番学んだのは、中国人の「食への愛の深さ」かもしれない。
そう、これは情熱というより愛であった。
最初の写真は、学校内の学食でのもの。
美味しい麺。
それもそのはず、なんと、厨房で、コックさんが麺をビョーンビョーンと伸ばしてるんだからな…!(美味しんぼで見たことあるやつだよ、あの双子のラーメン屋が)
打ちたてをすぐ茹でてくれるんだよ。
そして量が多い、日本のラーメンの1.5玉〜2玉くらいある。スープは薄味で飽きない。

決定的な場面はいつものごとく撮り損ねたが、伸ばす前段階だよ!

こちらは、職員用の食堂。平日は毎日ここで食べられる。ご一緒してるのは、このたび大変お世話になった呉(ウー)准教授。(ウー先生は日本に留学経験があるため日本語がペーラペラ。日本の情報にも通じており「SMAP解散するんだって?」とか普通に言ってた。)
さてこの食堂では、トレイを持って流れていきながら、オタマを持って待ち構えているおばちゃんに「アレとコレ」とか指差して盛ってもらう、外人にも優しい方式。
まずはご飯に、肉か魚のメインは1品、副菜は2品、他の副副菜(?)は好きなだけ。あとフルーツと汁物、というルールが厳格に定められており、皆真剣な顔をしてメニューを決めている。
最後の晩餐でもここまで深刻に悩まないんじゃないか?というほど、一回一回の食事が真剣勝負だ。

こちらは大学院生の王さん(右)と沙さん(左)。2人にも非常にとってもお世話になった…!王さんは日本語ペーラペラ、沙さんは英語がペーラペラ。なのだ!
ある週末に、フクモ陶器のくだらない希望により寧波の山奥に一泊二日で連れてってくれたときの写真だ。
2人とも哲学書でも読むかのように何かを一心に見つめている。そう、レストランでメニューを選んでいるのだ…!
「フクモさん食べたいものありますか?」と聞いてくれるんだけど、こちらはメニューを見てもさっぱりわからないので何でもいいよと答えると、彼女たちには「えー!」とびっくりされてしまうのだった。
「何でもいい」とか「とりあえず」なんて言葉は彼女らの食の辞書には無いのだ。


そして出てきた料理はどれも絶品、かつ山盛り。
いや、これ3人で絶対食べ切れないっしょ…と思ってたらあれよあれよと無くなった。2人とも痩せてるのによく食べる!
(なかでも印象に残っているのはカエル料理。美味しかったのも勿論だけど、レストランを出たら外の池にカエルがたくさん居たのだ…飼ってた…)
彼女らにとっての「食」とは、一体何なのだろうか??
1日3回の食事を、1回たりともおろそかにしない。毎食、一品一品を深く味わい、真剣に評価する。
そして朝ごはんが終わるとすぐに昼ごはんのことを考えはじめ、昼ごはんが終わるとすぐに晩ごはんのことを考えはじめるのだ…
それは例えていうなら
付き合い始めの恋人のようでもあり、
可愛い盛りの自分の子供のようでもあり、かといって尊敬する偉人のようでもある。
新鮮だけど、深い愛なのだ。


王さんが連れてってくれたお粥屋さん。階下で売ってる餅(ピン)が持ち込み可。お粥に入れて食べる。
例によって、餅をお粥に入れるところは撮り損ねた。


景徳鎮にて鍋。
バイキング形式で食材取り放題、鴨の腸、見たことないキノコなど、珍しい食材多し。
現地で初めて会ったパイさんがご馳走してくれた。
と、いうか中国人は基本的にご馳走してくれる。割り勘はセコイとのことらしい。(ウー先生談)
てなわけで、あちこちでご馳走になりまくる。


1ヶ月ホテル住まいだったのだが、ホテルの朝食が毎日違って全く飽きない。多彩。
しかし食堂に行くのが少しでも遅くなると人気の品は無くなってたりするので、早起きするようになった。若干中国ナイズされてきたのだろうか…?



帰る前日、送別会で鍋パをやってくれた。
やることは日本の学生と変わらないねえ…!
しかし具材の豊富さは日本の完敗だ。
何と何の出汁なのか、分かんないけど美味しい。
こうして見ると、食材、調理法の豊富さはまるで、無限に開くカラクリ箱のようだ。中国の建築に通じるところがあるなあ。(杭州滞在記その②参照)
と考えると、食に対して真剣に真面目に取り組むのは、気を抜くとそのカラクリ迷宮に迷ってしまうからなのだろうか?
故に彼らは、まるで自分の心と対話するようにメニューブックに目を通すのだろうか?
己を信じていなければ、たちまち食の海に溺れてしまうのだ…!
なんと奥深い、食への愛。
とりあえずフクモ陶器は4キロ太って帰ってきましたとさ。
Comments